葬儀 に思う(2)
4月17日新さっぽろのドラマシティーの内容を聞いた、
東京の稲葉さんからメール内容を
ご紹介致しました。
稲葉さんは、今年母親の
葬儀を振り返り、葬儀の想いを
伝えてきました。
以下原文のまま、前回の続きをご紹介します。
ブログを見ている方の、参考になればと思い
ご本人の了解を得て掲載させて頂きました。
「葬儀=故人を送るための儀式」ということは間違いありません。
故人との永遠の別れの場であり、最後に改めて感謝して送り出す場、でしょう。
そして、会葬いただいた友人知人も同じ気持ちで送ってくれるのですから、葬家・喪主からすれば、
それらの方々へ感謝をする場でもあると思います。
だから、盛大に派手にやれば良いか、という話でもないと思います。もちろん、交友関係が広い方で
あれば、葬儀も盛大になるでしょう。
でも、心から故人を送る気持ちで会葬するのと、正直「お付き合いで」という会葬者では
自ずと違います。
ですから、少数で内輪で送りたい、という「家族葬」が広まってくるのも頷ける話です。
「送る側と送られる側」、ついつい「送る側」の満足感で葬儀が終わってしまうことが
多いのではないでしょうか?
「送られる側」が一番嬉しいのは、きっと家族が「元気でいる。」ということ。悲しいのは悲しい。
でも、心に笑顔で「ありがとう」って
故人に言って、気持ちの上で明るく故人を送れた葬儀が、「いい葬儀だったなあ。」って言える
葬儀ではないか、終わってみて思うことです。
でも、経済的なことを考えると、多くの会葬者が来てくれたほうが「楽」というのも事実なんですね。
このギャップ、どうにかならないでしょうか?
何故か? これからは少子高齢化が進みます。給与所得等の伸びも期待できません。
子供が少ない=葬儀費用も少数で負担、まして、非正規労働者・フリーターが親を送る時に、
葬儀費用がままならない、ということは十分考えられます。
さらに、高齢化した親が無くなる=子も現役引退(年金生活者)、孫は子育て真っ最中で
生活に余裕が無いという例も増えるでしょうし、何より独居生活者です。故人は永く住み
慣れたところで、でも家族は都会暮らし。
年老いた親が亡くなっても、誰を呼んだらいいかわからない、必然的に火葬のみで済ませて、
後は納骨して終わり・・・
葬儀をしっかり費用を掛けてやるべきだ、とは言いませんが、儀式が儀式ですら無くなる。
故人への感謝や故人と関わった方々への生前の交誼を感謝
する、ということが失われていくとすれば、寂しい話です。
稲葉 光弘さんは、今注目されている、少額短期保険の販売業務をしています。
保険会社の長く携わり、ご両親の葬儀で感じたこと、今の葬儀の内容について
思いを語ってくれました。
稲葉 光弘さん有り難う御座います。
NP少額短期保険株式会社
